東京地方裁判所 昭和38年(行)1号 判決 1964年8月15日
原告 木下立獄
被告 国
訴訟代理人 片山邦宏 外一名
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
原告は、「被告は、原告に対し金二、九〇〇円を支払え。訴訟費用は、被告の負担とする。」との判決を求め、その請求原因及び被告の主張に対する反駁として、次のとおり述べた。
一、原告は、懲役刑受刑者として、昭和三七年一一月二〇日府中刑務所に入所し、昭和三八年一〇月四日刑期満了により出所したものであるが、右在監中府中刑務所長は、受刑者のため催された別表一記載の宗教教誨及び別表二記載の映画及び演芸の公演に原告を出席させなかつた。
二、しかし、受刑者といえども、身体の自由の制限等在監関係に伴う当然の自由の制限を受けることがあつても、これと直接矛盾、抵触しない基本的人権の享有を妨げられるものではなく、受刑者のための宗教教誨、映画演芸等への出席は、受刑者に保障された幸福追及の自由(憲法第一三条)にかかわるものとして、特段の事情の存しない限り、これをみだりに制限することは許されず、またこれら各種の催しへの出席について、特定の受刑者を差別して取り扱うことは、法の下の平等の原則(憲法第一四条)に反し、違法であるといわねばならない。従つて、府中刑務所長が、なんら正当の理由なく、原告に対し別表一及び二記載の各種催しに出席させなかつたことは、違法な公権力の行使に当たるものである。
三、被告は、原告が独居拘禁に付されていたため、当然各種催しに出席を許されないものである旨主張するが、監獄法施行規則第二三条によれば、教誨(刑務所においては、宗教教誨に限らず、映画、演芸等の催しも、教誨として取り扱われている。)への出席は、独居拘禁者にも保障されているのである。しかも教誨は、受刑者の教育、改善を一つの重要な目的とする刑務所において、極めて重要なことであるから、独居拘禁者をも含めて、受刑者を原則として教誨に出席させなければならないものであることは明らかであつて、教誨の場に出席させれば、同席者に迷惑をかけ、ないしは同席者に危害を加え、または同席者を不当に煽動、教唆、挑発し、またはこれと通謀する等、戒護上明白な弊害の存在する場合にのみ、当該受刑者の教誨(各種催し)への出席を禁止しうるものといわねばならない。しかるに、原告には、各種催しに出席することについて戒護上さしさわりとなるような事情はなにもなく、原告が前に宇都宮刑務所等に在監していたときは、独居拘禁に付されながら各種催しへの出席は許されており、当時と府中刑務所在監中とで、原告の言動になんのかわりもないのである。被告は、原告を各種催しに出席させることは戒護上の支障があると主張し、種々の理由をあげているが、原告は、他の受刑者を煽動したことはなく、また不要なまさつを起さないよう特に注意しているのであつて、この点の被告の主張は、事実に基づかない誤つた憶測にすぎない。
四、府中刑務所長が、原告を各種催しに出席させなかつた真意は、原告が訴訟、情願等により府中刑務所の処遇を争つたため、これに対する報復またはその禁圧にあつたと見る外には、正当の理由は見出されない。しかし、受刑者であつても、行刑当局の違法、不当な処置の是正を求めて、これを争い得ることは民主政体における当然の事理であつて、このことを理由に差別的取扱いをすることは明らかに違法である(憲法第一六条)。
もつとも、原告が訴訟、情願その他各種の願を提出することが多く、それだけ他の受刑者に比して手数がかかるとしても、これらは、刑務当局の違法、不当な処置に起因し、または受刑者として当然要求すべき事柄であつて、そのこと自体なんら不当視されるべきものでないばかりか、手数がかかるということと各種催しへの出席、禁止とは、なんら合理的な関係を有しないのであつて、右事実をもつて出席禁止の措置を正当化することはできない。
なお、被告は、原告を他の受刑者と接触させることは、戒護上障害があると主張するが、戸外運動や治療、診察の際には、原告は多数の受刑者とともにこれを行つているのであつて、右一事をもつてしても、被告の主張の理由がないことは明らかである。
五、府中刑務所長が、原告に対し別表一及び二記載の各催しへの出席を禁止したことは、国の公務員である同所長が、故意または過失により公権力を違法に行使したことにあたり、このため原告は教誨を受けまたは映画、演芸を見ることができず、別表一及び二「請求額」欄記載の精神的損害を受けたから、国家賠償法第一条に基づき、被告に対し右損害額合計金二、九〇〇円の支払いを求める。
原告は、以上のとおり述べた。
(証拠省略)
被告指定代理人は、請求棄却の判決を求め、原告の請求原因第一項の事実を認め、その余を争うと答弁し、次のとおり主張した。
一、原告は、昭和三七年一一月二〇日府中刑務所に入所したので、府中刑務所長は、累進処遇令第五条に基づき身上を調査するため独居拘禁に付し、調査の結果戒護のため隔離の必要が認められたため、監獄法施行規則第四七条に基づき、原告を引き続き独居拘禁に付することにした。
二、独居拘禁に付されている者については、監獄法施行規則第二三条により他の受刑者との交通を遮断する建前となつているところ、府中刑務所における各種の催しは、一度に約一、三〇〇名ないし一、四〇〇名位の受刑者を対象に講堂を使用して集団的に行なわれており、府中刑務所の職員の配置状況よりして、催しには約二〇名くらいの戒護職員の配置しか得られない実情にあるから、当時二五〇名を越える独居拘禁中の者を、催しに出席させたのでは、他の受刑者との交通を遮断することは不可能であり、とりわけ映画のように講堂の中が暗くなつた時のことを考えれば、このことは明瞭であるため、府中刑務所においては、独居拘禁に付されている者は、他の受刑者との交通を遮断するという法の建前を貫くため、原則として各種催しに出席を許さないこととし、ただ独居拘禁中の者で、相当期間その言動を観察した結果、戒護のための隔離の必要性が減少し、雑居拘禁へ移行する前段階の状況にあると認められる者には、試行的に各種催しへの出席を許す取扱いをしているのである。
原告は、監獄法施行規則第二三条の「独居拘禁ニ付セラレタ者ハ――――教誨―――ヲ除ク外常ニ一房ノ内ニ独居セシム可シ」との規定を根拠に、府中刑務所長は、独居拘禁中の者も特段の事情のない限り各種催しに出席させなければならないと主張するが、右規定は、教誨の場合には例外的に受刑者を監房の外に出すことを監獄の長に許したにとどまり、その場合でも、当然他の受刑者との交通を遮断する建前には変りはなく、従つて、右規定によつて府中刑務所における前記のような各種催しに出席させることが許されるものではなく、まして、これによつて独居拘禁中の者を各種催しに出席させることが義務づけられているものということはできない。
三、府中刑務所長が、原告を戒護のため他の受刑者より隔離する必要があると認め、原告を独居拘禁に付し、各種催しに出席させなかつたのは、次のような事実に基づくものである。
1、原告は、先に昭和三二年詐欺、私文書偽造、同行使の罪によりあわせて懲役三年の刑の執行を受けており、当初浦和刑務所に入所し、昭和三三年五月七日より千葉刑務所習志野作業場において服役したが、同作業場における七〇日余の間に法務大臣に対する情願を四回、所長、場長等に対する面接願を三四件、その他各種の願、伺い等の願箋を一六八回も提出し、種々処遇について異常ともいうべき不満を申し立てた。それは、その数、その執拗さ、その問題処理の困難さ等において、同作業場の管理能力を上廻るものであつたので、原告は同年七月一九日に宇都宮刑務所に移送されたが、同刑務所においても、入所早々から情願を継続すると称して筆記具の交付、あるいは所長面接等の各種申立を繰り返したため、雑居房における共同処遇は不適当と認められ、同月二一日より昭和三四年五月まで戒護のため隔離の必要があるものとして独居拘禁に付された。右独居拘禁中、戸外運動の際にことさら他の受刑者に接触して「自分は行刑の改良に努力しているのだ」等の大言壮語をして、他の受刑者を煽動する傾向があり、また、同刑務所在監中、法務大臣に情願を五回し、法務省矯正局長に上申書を提出し、さらに千葉刑務所長を職権濫用の疑いで告訴し、浦和、千葉、宇都宮の各刑務所長を相手方として各種の訴を提起するなどして、数多くの不平不満を申し立て、前刑の執行においては、行刑当局との間で全く斗争状態に終始した。
2、原告は、昭和三七年二月本件受刑の原因となつた詐欺事件のため東京拘置所に収容され、同年九月二一日まで同所で独居拘禁に付されていたが、その間目黒警察署長を相手方として同署に収容されていた間の処遇を違法として損害賠償請求訴訟を提起し、さらに法務省矯正局長宛請願を二回、東京拘置所長宛請願を二回行つている。
次に、原告は、昭和三七年九月二一日より同年一一月二〇日まで本件と同一の刑のため中野刑務所において独居拘禁に付されたが、その間東京拘置所長、中野刑務所長を相手に頭髪の強制翦剃、監房内に畳を入れないこと、監房内のタオル手拭の使用禁止等の処分をいずれも違法とする各訴を提起し、法務大臣、法務省矯正局長、中野刑務所長等に対して同刑務所における処遇基準改善事項(三一項目)を提出したのを初め、前後一四回にわたり処遇について請願書及び上申書を提出し、その他処遇について担当職員に口頭で数多くの不服申立をした。
3、そして、原告は、昭和三七年一一月二〇日府中刑務所に入所するに当たり、あらかじめ処遇についての要望事項五五項目を書面に作成して、法務省矯正局長及び府中刑務所長に提出したが、その要望は、例えば担当看守以外に相当な処遇責任者を定め、適時に意思の疏通を計ること、他の受刑者との接触を徹底的になくし、舎房にいる雑役夫、衛生夫、理髪夫、浴場夫との接触までもなくすこと、原告に関する日常の用件はすべて担当看守が直接取り扱うものとし、一切受刑者にさせないこと、私本の閲読についてはいかなる制限もしないこと、夕方の点検終了時から翌朝の起床時までの間については、七時間以上の睡眠を確保することを条件として、寝ること、横になること、起きていること、読んでいること、書いていることについて一切干渉しないこと、室内の電灯を特別明るくし、且つ就寝時間後も暗くならないようにすること、入浴は毎週二回定日に行い、一回につき二〇分間以上とすること、発信及び受信についてはいかなる制限もしないこと、監房に畳を入れること、毎日の午後に限り必要に応じて訴訟文書、請願書等の認書の自由を保障すること等、その多くは現行法令を無視し、または監獄が多数の受刑者を集団的に処遇するものであることを没却し、原告個人の利益のみを考えた独善的な要求であつた。
4、中野刑務所長において原告の心身鑑別に当たつた心理学の専門官は、原告の性格を極めて斗争的であつて、たとえ合法性や正義感を標榜していても、自分の権利や利害得失には敏感で、些細な不満でも拡大し独善的な要求に固執したり、それを合理化し、その支配的観念に自分の全存在を傾け、自分が他人と違いすぐれているというエリート意識が過剰で、自分の主張を表現することにある種の使命感をもつていると分析し、そのため他との協調性が乏しく、対人関係で不適応を起し易いと述べている。
5、府中刑務所長は、原告が昭和三七年一一月二〇日入所して身上調査のため独居拘禁に付された間、前記五五項目の要望書及び心理学の専門官による鑑別結果並びに前記のような前刑の服役状況及び今次の刑に関しての東京拘置所、中野刑務所に収容中の言動等を記録によりつぶさに検討した結果、原告は、行刑について独自の考えをもち、それにそわない監獄の処遇をすべて違法と判断して、各種の不平不満をひんぱんに申し立て、それが容れられないときは、自分の考えが絶対に正しいものとして繰り返し執拗に同一の要求をして、監獄をあたかも行刑改良のための斗争の場と考えている観があつたので、府中刑務所においても処遇について種々不満をもち、極めて好争的な態度で終始するであろうと予測した。そして、もしこのような原告を他の受刑者と接触させた場合、他の受刑者を煽動して、或いは悪影響を及ぼし、行刑当局に対し不必要な不平不満を醸成させ、監獄内における規律の維持に重大な支障をきたすことは容易に考えられるところであつた。また、原告の真似をして所長を初め担当職員に対して不必要な面接や種々の願出を出す受刑者が続出することも予測され、手不足に悩む府中刑務所として、管理運営上重大な支障を生ずるおそれもある。さらに、多くの受刑者の中には、原告のそのような特異の行動に反感をもち、原告に危害を加えようとする受刑者が現われないともいえない。常時三、〇〇〇名以上の受刑者を収容している府中刑務所にあつては、原告に他の受刑者との自由な交通を許していては、右のような規律の維持、円滑な管理、運営、危害の発生を防止することは不可能で、戒護のためには原告を他の受刑者より隔離するほかはない。それに原告自身独居拘禁に付されることを希望していたため、府中刑務所長は、昭和三七年一一月二四日原告を独居拘禁に付した。
6、原告は、府中刑務所においても、ほとんど毎日処遇に関して各種の不平、不満を訴えているが、その内容は前記五五項目の要望書に集約されていることとほぼ同一で、大部分は原告個人の利益のみを考えた独善的な要求であつたり、直ちに実現が困難なもので、しかもその要求が容れられない場合は、執拗に同一要求を繰り返しており、原告が府中刑務所入所以来昭和三七年一月一五日までに提起した情願、願出等の各種申立のうち記録に残つているものだけでも、別表三記載のとおりである。
四、以上述べたとおり、原告については、府中刑務所在監中戒護のため他の受刑者より隔離する必要があつたのであるから、府中刑務所長が原告を独居拘禁に付し、各種催しに出席させなかつたことについては合理的な理由が存するのであつて、これをもつて、原告の幸福追及の自由を違法に侵害し、また不当に差別的取扱いをしたものといいえないことは明らかである。
なお、原告は、府中刑務所長が原告を各種催しに出席させなかつたことは、原告が訴訟や情願をしたことを理由とするもので違法であるとも主張するが、府中刑務所長は、原告が訴訟、情願等をしたことを理由に各種催しに出席させなかつたのではなく、前記のとおり、原告のこのような行為の結果、監獄内における規律の維持、円滑な管理、運営、危害の発生の防止のうえに重大な支障が生ずるおそれがあつたことによるもので、原告の主張は失当である。のみならず、原告の各種不平不満の申立は、常軌を逸しているといえるほどひんぱんで、その内容も現行法令を無視した利己的なものや、直ちに実現が困難なものが多く、原告は、そのことを承知のうえで、行刑当局がこのため多大の時間と労力を尽し、管理運営上種々の支障をきたしていることを知りながら、同一要求を繰り返しており、それは、行刑の改良に名をかりた、実態は行刑当局に対するいやがらせであつて、権利の濫用にほかならないのである。
被告指定代理人は、以上のとおり述べた。
(証拠省略)
理由
原告は、府中刑務所長が原告に対し、同所在監中所内で受刑者のため催された宗教教誨、映画、演芸等の各種催しに出席させなかつたことは、憲法第一三条、第一四条に違反すると主張するところ、刑務所長がなんら合理的な理由なく特定の受刑者を差別して取り扱うことは、これらの法条の趣旨に反し違法であることは明らかであるから、府中刑務所長が原告を各種催しに出席させなかつたことについて、合理的な理由があるかどうかを判断することとする。
原告が府中刑務所在監中独居拘禁に付せられていたことは当事者間に争いがない。監獄法施行規則第二三条によれば、独居拘禁に付せられた者については他の在監者の交通を遮断すべきことが定められているところ、証人今井文孝の証言によれば、府中刑務所においては、各種の催しは、受刑者約一、三〇〇名ないし一、四〇〇名を収容する講堂において警備職員約二〇名の立会いの下に開かれており、宗教教誨及び映画のような視覚にうつたえるものを除き、一般講演、音楽等は、右催しに出席させない受刑者のため、各監房に備付けのスピーカーを通じて聴取させていることが認められるが、このように多数の受刑者が一堂に会する場所に独居拘禁に付せられた者を出席させれば、他の受刑者との交通を遮断することが事実上不可能なことは明らかであるから、独居拘禁に付せられている者に対しては、各種催しへの出席を許さず、監房内でこれを聴取させることにしても、これをもつて、不合理な差別待遇として、違法と断ずることはできない。この点について、原告は、右規則第二三条において、独居拘禁に付されている者について教誨の場合は監房より外に出すことが許されていることを理由に、独居拘禁に付されている者についても、監獄の長は、その者を各種催しに出席させることによつて、同席者に迷惑をかけ、危害を加える等戒護上明白な弊害の存在する場合を除き、出席を許さなければならないと主張するが、右規定の趣旨は、被告の主張するとおり、教誨の場合に独居拘禁に付されている者を監房内より出すことを監獄の長に許したにとどまり、その場合にもこれを他の受刑者との交通から遮断すべきことは当然であつて、右規定により、独居拘禁に付された者も、原則として前記のような各種催しに出席させなければならないものと解することはできない。もつとも、府中刑務所において、独居拘禁に付された者でも、戒護のための隔離の必要性が減少した者に対しては、試行的に各種催しへの出席を許す取扱いとなつていることは、被告の自認するところである。従つて、原告を各種催しに出席させなかつたことに合理的な理由があつたかどうかは、原告を独居拘禁に付し、各種催しに出席させない戒護上の必要性があつたかどうかにかかることとなる。
受刑者を独居拘禁に付し、各種催しに出席させない戒護上の必要性があるかどうかの判断は、本来刑務所長の裁量に委ねられているものと解すべく、刑務所長は、受刑者に対する科学的な鑑別結果、その他の資料に基づき、処遇上の専門的知識経験によつて決定すべきものであつて、その判断が合理的な基礎を欠き、または不当な配慮の下に行なわれる等、その妥当性を著るしくそこなう事実の存しない限り、違法となるものではないといわねばならない。このような見地から、原告を独居拘禁に付し、各種催しに出席させないこととした府中刑務所長の処分の適否を以下に判断する。
成立に争いのない乙第一、第二号証、証人今井文孝の証言により真正に成立したと認められる乙第三号証及び証人今井文孝の証言によれば、次のような事実が認められ、この認定を覆すに足る証拠はない。原告は、昭和三二年に一度懲役刑を服役し、当初浦和刑務所に入所したが、昭和三三年五月七日千葉刑務所習志野作業所に移送され同年七月一九日宇都宮刑務所に移送されるまでの七〇余日の間に、所長、場長、保安課長、警備課長、医務課長、庶務課長等に対し約三四回の面接願と約一六八件の願箋を提出したが、宇都宮刑務所移送後も各種の願、情願等を多数提出し、処遇上の不服を訴えて三件の行政訴訟を提起し、あるいは刑務所長を告訴するなど、出所まで、行刑当局と斗争状態に終始し、そのため独居拘禁に付せられたが、その間宇都宮刑務所において、戸外運動等の際ことさら他囚に接触し、「自分は行刑の改良に努力している」旨の大言壮語をして煽動的な傾向が見られ、また、同所における精神鑑定によれば、「てんかん性性格で、粘着性、偏執的、攻撃的、気分易変性、感情興奮性、自己顕示的、判断の浅薄、道徳不感性、自己陶酔傾向が加わつた精神病質人格」と診断された。昭和三七年本件受刑の原因となつた事件のため東京拘置所に収容されたが、同所において、目黒警察署長を相手どり同署収容中の処置を違法として損害賠償請求訴訟を提起し、中野刑務所移送後も、行政訴訟の提起、請願その他多数の不服申立を行ない、昭和三七年一一月二〇日府中刑務所に入所後も、入所時にあらかじめ記載した五五項目にわたる要望書(乙第三号証)を提出したのをはじめ、昭和三八年七月一五日までに別表三記載のとおり多数の訴訟、情願、面接願その他を提起した。これらの数は一般受刑者に比し格段に多いものである。しかも、原告の要望事項のうちには、一応無理からぬものと認められる要望もあつたが、例えば、担当看守以外に処遇責任者を定めることを求め、舎房にいる雑役夫、衛生夫、理髪夫、浴場夫との接触をなくすること、原告の日常の用件をすべて担当看守が直接取り扱い、一切収容者にさせないこと、私本閲読についていかなる制限もしないこと、その他被告が掲げるような現行法令を無視し、監獄が限られた人員で多数の受刑者を集団的に処遇する施設であることを没却した独善的、利己的な要求も少なくなかつた。そして、中野刑務所において、各種の心理テストを用いて精神学の専門官が行なつた原告に対する精神鑑別の結果によると、「原告はきわめて斗争的な狂信性精神病質人格者で、いわゆる好訴人であり、たとえ合法性や正義感を標榜していても、自己の権利や利害得失に敏感で、些細な不満でも拡大し、独善的な要求を固執したり、それを合理化し、その支配観念に全存在を傾け、自分が他人とは違いすぐれているというエリート意識が過剰で、自分の主張を表現することにある種の使命観をもつており、そのため他との協調性に乏しく、対人関係で不適応を起しやすい」とされている。他方、受刑者の中には、原告のように行刑当局を相手に訴訟等を提起して争う者を英雄視し、その者とかかわりあいをもつて、自分たちの不平不満をよけいに強めるものもあり、原告と前刑当時宇都宮刑務所に同時期に在監し、多数の不服申立をしていた古場秀彦は、原告を尊敬すると述べており、また、同じく受刑者の中には、原告のように行刑当局と争つている者に敵意をもち、刑務所側におせじを使うために、原告のような者に危害を加えようとする者もある。
以上のような事実によれば、府中刑務所長が原告に他の受刑者との接触を許せば、受刑者間に不要な不平不満の空気を醸成し、監獄における規律の維持に支障をきたすような事態が生じ、またいたずらに面接願出がふえて管理運営上の障害が発生するばかりか、原告の身体の安全の保護にも困難な事態の発生するおそれがあるものと考え、原告と他の受刑者との交通を遮断する戒護上の必要があると判断したことが、判断の合理的基礎を欠き、その他著しく不当ということはできない。もつとも、証人今井文孝の証言及び原告本人尋問の結果によれば、原告が府中刑務所在監中、他の受刑者を煽動し、または原告に対し他の受刑者が危害を加えようとした具体的事実がなく、また宇都宮刑務所在監中には、独居拘禁に付せられながら、各種催しへの出席が許されていたことが認められ、右事実によれば、府中刑務所長が原告を各種催しにまつたく出席を許さなかつたことは、その取扱いが若干厳格に過ぎたきらいがないわけではないが、しかし、府中刑務所において現実に戒護上の問題が生じなかつたのは、府中刑務所長が原告と他の受刑者との接触を厳しく遮断した結果ともいえるのであり、また府中刑務所は、原則として再犯者を収容し、収容人員も常時三、〇〇〇名前後に及ぶのに対し、宇都宮刑務所は、原則として初犯者を収容し、収容人員も府中刑務所の半数以下であることは、前掲証人の証言及び原告本人尋問の結果により明らかであり、従つて両刑務所において処遇上の取扱いが異なり得ることは容易に認め得られるところであるから、これらの事実をもつて、府中刑務所長の判断が、直ちにその裁量権の範囲を逸脱したものということはできない。さらに、原告本人尋問の結果によれば、原告が行刑当局との抗争その他について、他の受刑者に知られないよう一応の配慮を加え、また原告が戸外運動、入浴等の場合には、他の受刑者とともにこれを行なつていることが認められるが、前掲証人の証言によれば、限られた場所に多数の受刑者を収容する刑務所において、原告のような特異の存在はおのずから受刑者の間に明らかになるものであり、さらに戸外運動等の場合は、比較的小人数の者を広い場所に置き、看視の目のとどきやすく、その上戸外運動等は受刑者の健康上極めて重要であること等の理由で、原告も他の受刑者とともにこれを行なわせているものと認められるから、これらの事実をもつても、なお、原告を各種催しに出席させない戒護上の必要ありとした府中刑務所長の判断が、裁量権の濫用にあたるものとはいえない。
原告は、府中刑務所長が原告を各種催しに出席させなかつたのは、原告が行刑上の処遇につき訴訟や情願をしたため、これに対する報復ないし禁圧措置としてしたものであつて違法であると主張する。前掲証人の証言によれば、府中刑務所長が原告の処遇を決定するに当たり、原告が各種の訴訟、情願、願出を数多く行い、その内容において、前記のとおり独善的なものが少なくないことなどの事実を、原告の前記精神鑑別の結果と符合するものとして、判断の一資料としたことは明らかであるが、原告の訴訟、情願等の事実をこのような趣旨で判断の資料に用い、原告を独居拘禁に付し、各種催しに出席させないことと決定しても、そのことの故をもつて、直ちに府中刑務所長の右決定が原告の訴訟、情願等に対する報復ないし禁圧措置と認めることはできず、他に原告を各種催しに出席させなかつたのが、原告のかかる権利行使に対する報復ないし禁圧的措置として行なわれたものと認むるに足る証拠はないばかりか、かえつて、前掲証人の証言によれば、府中刑務所長は、原告の訴訟活動のため、原告の就寝時間を他の受刑者よりも二時間遅らせることを許可し、その他訴訟用用紙の購入や参考書籍の入手等の便をはかつていたことが認められ、同所長がことさら原告の訴訟活動を妨げ、あるいはこれを禁圧しようとしたものとは認めることができない。
以上の次第で、府中刑務所長が原告を別表一及び二記載の各催しに出席させなかつたことについて、原告主張のような違法はなく、原告の請求は、その余の点を判断するまでもなく失当であるから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 白石健三 浜秀和 町田顕)
別表一―三<省略>